【56】物理シミュレーションなんて意味がない!?

長谷川 晶一

 物理シミュレータが作り出す、実世界に基づくシミュレーションの世界のことは、実世界との類推から理解できる。どんなことが起こるのか予想でき、起きたことに納得できるので、その世界を楽しむことができる。

 物理ではない法則による世界でも、その世界について何らかのモデルを心の中に持つことができれば、その世界を楽しむことができる。たとえば、将棋やオセロの盤面でのコマの動きの法則は物理ではないが、ルールが心の中でモデルとなって動き出し、コマの動きが予想でき、納得できるようになれば、その世界を楽しむことができるようになる。そんな世界ができれば、楽しむうちに世界のおもしろさの本質を見抜き、それを積み上げて誰もが楽しめる遊びの場を作る人もあるだろう。

 プログラムどおりに決まった動きだけをするソフトウェアでは、プログラマー自身は遊べない。シミュレーションならばプログラマー自身も遊べる。シミュレーションの仕組みをプログラムすると、作った世界が動き出すから。

 仕様から動作が予想できるようなプログラムではプログラマー自身は遊べない。遊んでみなければ見つけられないバグがあるようなプログラムこそおもしろい。

 ゲームのプログラムはみなシミュレータ。シミュレーション対象はゲームのルール。パズルのルールだったり、戦いの法則だったり、物理法則だったり。ゲームのプログラムは、予想でき、納得でき、人々が心の中にモデルを持つことが可能な世界を作り出す。

 ゲームのプログラムに、本当にリアリティがいるのだろうか?

 視覚と光をシミュレーションするコンピュータグラフィックスはリアリティの高い映像を作り出す。物理シミュレーションはリアリティの高い動きや動作を作り出す。リアリティの高い映像と動きを見れば、誰でも見ただけで予想でき、納得でき、実世界の場合と同じモデルを心に持つことができる。

 でもそれに、どんな意味があるのだろう。リアリティによるわかりやすさの提供だけでも物理シミュレーションには十分な存在価値があると思う。それとは別に物理シミュレーションはゲームのおもしろさに関わるのだろうか? コンピュータが使えるのだから、自由な計算の世界なのだから、わざわざ現実のコピーを作る必要はないのではないか? 囲碁や将棋やテトリスのような抽象的なゲーム世界こそが本質で、瑣末なリアリティはゲームの面白さと関係ないのではなかろうか? シミュレーションがゲームのおもしろさの本質だとしても、物理法則は関係ないのではないか?

 それでも、私は、実世界の持つリアリティに意味があると思いたい。私は実世界を生きる生き物としての体験が好きだ。それに人の体験の基本は、実世界を生きる直接の体験だと思う。だから本質だけを取り出した抽象的なゲームプレイにはない感動が、高いリアリティを持つ体験には存在すると考えたい。

 だから、コンピュータの中に楽しみのための世界を作るにも、実世界と似たリアリティを持つ世界を作りたい。そしていつか実世界を生きる人の生き様をシミュレーション世界に映し出せるようにしたい。