【37】ゲームデザイナーという「生き方」

ケネス・チャン

ゲームデザイナーの本質

 誤解されやすいが、ゲームデザイナーだからって飛びぬけておもしろいアイディアを考えつくというわけではない。職業の都合上、ゲームデザイナーは通常の人より効率よくアイディアを出したり、よりゲーム的に精度の高いものを脳内で構築できたりするかもしれない。ただ、「これだ!」というようなひらめきはゲームデザイナー特有のものではないし、本質でもない。

 数多くのアイディアからゲームにとってもっとも適切なものを摘出し、それらを使って合理的にゲームシステムを設計する人間、それがゲームデザイナー。

 職業という意味ではそうともいかない場合もあるが、そのような大人の事情を一旦忘れて、ゲームデザイナーの本質のみについて語りたい。

ゲームデザイナーに求められるもの

 ゲームというものは恐ろしく複雑なものである。数多くの刺激を与え、最終的に意図した感情をプレイヤーに感じてもらうシステム。多くの刺激を合理的に組むのも、それらの刺激のカラクリを理解しなければならないのもゲームデザイナー。

 とは言うものの、それは知覚的・精神的・社会的な分野を全て極めなければならないことを意味する。そんなのって、人生が何年あっても無理な話だ。

 そうとなれば、ゲームデザイナーにできることは、なるべく多くの分野に触れて、知識を得られるように工夫するぐらいしかない。

「知ってる」≠「理解してる」

 「知ってる」だけの知識はせいぜい、議論の際のブラフとして使えるぐらい。ゲームデザイナーの勉強とはゲームデザインに役に立つ知識を得ること。言い換えれば、学んだ知識がどのようにゲームデザインに活用できるかまで理解しなければならない。

 深くもぐりすぎると時間が足りない。表面を掠めただけでは理解が足りない。

 このジレンマに対する妥協点とは、学んだことについて「自分がどこまでわかっていないかわかるまで勉強する」ことだ。

中途半端な知識の危険性

 浅すぎる知識は危険だ。知識を勘違いしたり、解釈を間違えたりすると、自分のゲームデザイン論は根本から歪んでしまうからだ。

 たとえば最近バートルテスト†について語るゲーム開発者はしばしばいるのに、▽バートルテストを実際に設計したのは提唱者のリチャード・バートル氏ではなく別の人物であること▽近年では 4 つではなく 8 つのタイプに拡張されていること††▽論文の形をしているものの、学術レベルの実証実験は行われていないこと、——などを知っている人はきわめて少ない。

 バートルテストを誤った認識を持ったまま使用すると、ゲームデザインの裏づけが歪んでしまい、間違った方向性に進んでしまうことも考えられる。

ゲームデザイナーという生き方

 人は自分の知識がすべてだと勘違いしがち。しかし、少しでも調べれば自分は氷山の一角に触れたに過ぎないことを理解することにができる。

 めざすところは自分の知識が全貌のどれだけ小さな一部でしかないか、さらなる理解を得るには、どこをどう調べればいいのかという、詳しすぎずとも正しいとらえ方ができるライン、つまり専門家への道の入り口が見える境界線にたどり着くことである。

 量子力学では「量子力学を理解しているというやつは嘘つきだ」†††という格言がある。よくいったものだ。

ゲームデザイナーも同じ志を持って物事に触れなければならない

 ゲーム世界を設計するゲームデザイナーは、ゲームにおいては神のような存在だ。間違った神は間違った世界しか生み出せない。

 皆さんの生み出す世界が正しい世界であらんことを。