【35】あなたのゲームが終わっても、あなたを取り巻くゲームは続く

永由 小百合

 ゲームクリエイターとは何をする人でしょう。

 ゲーム開発を職業にしてからの十数年間、私はずっとこの問いに明確な答えを出せずに開発を続けながら生きています。

 試行錯誤の真っ最中です。

 ただ、その思考の旅の過程、ゲーム開発のスタート地点に立ったばかりの今、私が見い出した答えの 1 つが「人はみなゲームクリエイターであり、同時にゲームプレイヤーである」ということです。

 私たちは日々リアルタイムにゲームを産み出し、そしてリアルタイムにゲームを消費しています。

 これはどういうことなのか、一緒に考えてみてほしいと思います。

 それにしても文章とは不自由なものだと思います。

 ゲームクリエイターが知るべきことを文章に起さなければならないなんて、なんともどかしい!

 ゲームクリエイターが知るべきことはゲームから得ることが望ましいでしょう。

 だから、ここはひとつ、私から読者のみなさんに「ゲーム」を提示したいと思います。

 この「ゲーム」を実際にプレイしてみる読者がいるかどうかはわかりませんが、その気になれば「手元にあるどんなものを使ってもゲームを作ることができる」ということをわかっていただければと思います。

 ではもう 1 つ、この本を使ってゲームをしてみましょう。

 今度はあなた 1 人でできるゲームです。

 このように、身の回りにあるさまざまなものからゲームを構成する要素は抽出でき、組み合わせしだいで、さまざまな体験を創り出すことができます。

 しかし、人の短く限定された人生の中でプレイできるゲームは限られています。

 だから、どうせ体験するのであれば、有意義で価値のある、魅力的な体験をしたいと思うはずです。

 そのためにゲームクリエイターは、「この世界を、どうしたらもっとおもしろく切り取れるのか? どうしたらもっとおもしろく組み立てられるのか?」を考え続ける必要があります。

 しかし、ゲームクリエイターが作っているものは、実は目に見えるもの、手に取れるものではなく、ゲームをプレイした人間の心の中に生成されるものを作っているのだと思います。

 その 1 つが「ゲームをプレイしたことによって生まれる感情」ではないかと思います。

 人の心の中に強烈な感情を生成するようなゲームを作ると言うことは、一朝一夕でできるものではないと思っています。

 切り取って組み立てたゲームが、どういうメカニズムで人間の感情という、内側の世界に働きかけることができるのか、そういうことを考えて作らなければなりません。

 そのためにはゲームをプレイする人間の事をよく知る必要があります。

 人間から生まれる感情は決して「楽しい」や「やる気が出る」など「良い」とされる感情だけではありません。

 卑しく、醜く、嫉妬深く、利己的で暴力的な、そういう人間の負の感情とも向き合わなければなりません。

 最後に、我々という存在が今このように生存しているということも、生物が進化し生き残るというゲームに勝利して来た結果のひとつであると言えます。

 だから、もし、あなたというゲームが終わっても、あなたを取り巻くゲームは続いていくでしょう。

 この世界が存在している限り。