【67】なぜ今シミュレーションウォーゲームなのか

うみのかめさん

 以前赤坂にあった編集工学研究所に松岡正剛氏を訪れた折、同氏からこれから学ぶべきは墨子だと言われたのがとても印象に残っている。墨子は、ご存じのとおり諸子百家の一人、兼愛、非攻を説き、その一団は大国に襲われる小国に加担し、その国を守り防いだと伝えられる。中でも楚の公輸盤との模擬攻城戦の逸話は興味深い。公輸盤の開発した新兵器雲梯をもってこれから宋を攻めようとするところに墨子が乗り込み、その非を咎め、楚王が公輸盤と机上で宋を守り切れたなら計画を白紙にすると約束し、模擬攻城戦を行うところである。あの手この手で攻めようとする公輸盤に対し、ことごとくその防ぎ手を示し、最後は墨子を殺せばそれもできまいとするのに対し、すでに弟子たちに手立ては伝授してあると言ってそれを封じ、戦いを未然に防いだという。

 近代におけるシミュレーションウォーゲームの嚆矢は、陸においてはプロイセン陸軍で用いられたクリークシュピール、海においてはイギリス海軍で用いられたジェーン氏のネイヴァルウォーゲームとされる。それは来るべき戦いに備えた教育、訓練のツールであると同時に、新たな作戦・戦術の検証ツールであった。日本海軍でも、秋山真之の提案でシミュレーションウォーゲームを取り入れ、日露戦争前、海軍大学校で繰り返し行った逸話は有名である。また先の大戦でも、米海軍では、ニミッツが海軍大学校のシミュレーションで対日戦のあらゆる問題を予想できたと語っている。そして核兵器の登場以後、さまざまな仮説に基づき幾度となくシミュレーションが繰り返され、政策担当者たちは戦いが無益であることを悟り、多くの戦争を未然に防いできた。

 対処から予防へ。それは医学の潮流にも似た大きな歴史の流れである。事実日本建軍の父と呼ばれた大村益次郎は、兵学者であると同時に医者であった。彼だけではなく、杉田玄白、高野長英といった当時最先端の知識を有していた蘭学者は医学を学ぶと共に、兵学を語った。そして彼らは当時すでに環境の変化に適応できなくなっていた江戸期の国の体制を、明治の開闢へと大きく切り拓いていったのであった。人の内患、外患を扱う医学と国のそれを扱う兵学は、人の生死に関わることといい、技術の最先端を用いることといい、非常に近しい関係にある。

 ともすれば言挙げを嫌う我が国では、病であれ、争い事であれ不快な現実から目を背けようとする。けれども危機管理の鉄則は最悪に備えることであり、それを見据えなければその回避は難しい。先の大戦ではミッドウェー作戦のシミュレーションでは空母への命中弾数を結果として出た 1/3 の 3 発、インパール作戦では、3 発撃てば敵は降参することになっているなどとして、不都合な可能性から目を逸らし、共に危惧された危険が現実のものとなったのである。その一方で真剣に行うならば、昭和 16 年の夏、総力戦研究所でなされた大東亜戦争の結果は現実に極めて近似したように、将来を予見したり、また最適解を示唆するような内容の結果を得ることもある。ゲームデザイナー鈴木銀一郎氏は、第二次大戦をうまく描いた『ハーツオブアイアン』を日本プレイヤーとして数千時間プレイした経験を持つが、それから得られた結論は、北進していれば日本は負けない可能性があったことだそうである。それはアメリカ外交史学会会長であった M・A・ストーラーが、開戦前に米国政府内部では米英の敗戦シナリオとして日本軍のシベリア侵攻があったとすれば、第 2 次大戦の帰趨を決する決定的な要素となり得たというものがあったとしていることと考え合わせて興味深い。

 今日、再び四方の海は波立ちつつある。そのためにも今改めてシミュレーションウォーゲームを活用できないかと考える。その市場を活性化させ、それらを通じて学生の教育や、健全な世論の形成等に資することができればと思う。それは、墨子の説く兼愛のように分け隔てなく国々と交わり、非攻のように国是として自ら他国を攻撃しない我が国に相応しいことである。まずはヒストリカルなものから始めていく予定である。ご関心あられる方々のご協力をお願いしたい。