【50】「すべて 1 人で作った」はウソでした

天谷 大輔

 ここ最近、個人が作ったゲームを販売できるインフラが整い、安価でマルチプラットフォームに対応した開発環境や、日本語のゲームを多国語に対応させるサービスが現れて、ゲームを作る人口が爆発的に増え、無料ゲームだけでも遊びきれない数になり、それらは今も増え続けています。

 世の中はゲームで溢れかえっているのに、なぜ僕は自分でゲームを作ろうとするのか。その理由は自分が妄想したゲームがどのゲームより自分が欲しいゲームであり、きっと同じようにそのゲームを喜ぶ人がいて、完成できれば、僕もその人たちも幸せになれると信じているからです。

 しかし。妄想はやはり妄想でしかなく、実際に作り始めるとスグに自分が何も考えていなかったことに打ちのめされ、方向性を見失ってやむを得ずテストプレイヤーのご機嫌をうかがいつつ「最後までプレイしてもらえますように!」と祈りながら、どうゲームを完結させたらいいのかと右往左往する毎日を送っています。

 僕は以前『洞窟物語』というレトロな横スクロールアクションゲームを 1 人で作りました。すべての素材が簡易ではあるものの、グラフィックと音楽・各ステージのデザイン、ゲーム本体のプログラミングの他、必要なツールも全て 1 人でこなしたために、制作には 5 年以上かかってしまいました。

 最初に画面の中で自分が描いた小さなキャラクターが操作できるようになったとき、まるでその世界の神にでもなったような感動に心震え、「早く誰かに見せてキャーキャー言われたい!」と思います。けれどその瞬間から「完成しないと見せられない」という孤独な戦いが始まります。この「1 人で気ままにゲーム制作」は「プレイヤーを驚かせること」こそがモチベーションになっていて、制作途中のいろいろとガッカリな状態で誰かに見せてしまうと、そのままガッカリされてやる気を失い、制作を続ける上での命取りになることもあります。

 「見せたいのに見せられない」そんな状態での 5 年は長かったですが、フリーソフトの割には良くできたゲームということもあり、まずはインターネット上の口コミで広がって、海外のファンによって英語化されました。やがて Wii や DSi のダウンロードゲームとして移植していただいて。そのおかげで僕は「1 人でゲームを作った人」として、少し有名になることができました。けれど、厳密に言うと 1 人で作ったというのはウソです。

 『洞窟物語』が完成に近づいて、ある程度作品に自信が持てるようになった頃、僕はデバッグ(バグ探し)を手伝ってもらうために友達数人にゲームを公開しました。バグ報告の重複を避けるために BBS(Web サイト上で誰でもメッセージを書き残せるシステム)を用意しました。デバッガーは多いほうがいいし、こればかりは 1 人でやるメリットがありません。

 ところがこの BBS に投稿されたのは、バグだけではなくプレイヤーとしての要望やゲームを良くするためのアイデアでした。正直、自分でもゲーム中のいろんな問題を認識してはいましたが、僕自身はバグを消化してさっさと公開したかったので、この事態には戸惑いました。ゲームを作ることに疲れていた僕には、「ゲーム作りはこれで最後にしよう」という決意があったので、それならやれるだけやろうと、彼らの要望に応えて、BBS 設置からさらに 1 年。履歴を読み返すと、あの絶妙なゲームシステムもその中で生まれていました。『洞窟物語』が素晴らしい状態でリリースできたのは彼らのおかげです。

 最後のバグチェックを始めてから1年も修正・変更を続けるなんて無計画にもほどがあると思いますが、自分が「これでよし!」と思ってから、さらにプレイヤーの声に耳を傾けることができたなら、ゲームはさらに良くなります。僕のこの経験が、これからも増えるであろう 1 人でゲームを作る誰かの参考になって、公開されるゲームがより良いものになれば幸いです。