【48】生きてるウチにどこまですごいゲームを作れるのか

宮川 義之

 昨今、クリエイターにもゲーマーにも非常に恵まれた時代と思いますが(ほとんどの人がゲームができるマシンを所有し、安価、もしくは無料で色とりどりのゲームができる時代がくるなんて!!)、この充実した時代に、いかに己も充実して働けるかがクリエイターの最重要事項と思います。充実といっても、ただしゃかりきになれば良いわけじゃなく、いつか訪れる、生涯最高の傑作を作るそのときに、どんだけ自分を磨くかってことと、裏を返せば己を磨き、周囲を盛り上げて生涯最高の傑作をちょっとでも高みに到達させるか。それが私的にはもっとも興味あることなのですが、たいていの人もそんな感じじゃないかと思います(実際、私は数多くの採用面接でそうした思いをたくさん聞いてきました)。

 いつだってハイスコアチャレンジって気分でいることが創作家業には欠かせないのですが、正直に言えば「こんなことやっててハイスコアとか生涯最高とかになるんだろうか」と疑問に思ったことは一度や二度じゃありません。正確に言えば、関わったタイトルの数だけそう思ってきました。具体的には「今度こそダメかもしれない」「なんで皆はあんな面白いゲーム作れるのに僕のはこんなんなんだろう」と必ず悩んだりします。でも、完成時にはそんな悩みも忘れて「やるだけやった! またちょっと成長した、はず!」と三歩進んで二歩戻るの毎日です。そしてやはりこれも、たいていの人が同じように考えるようです。

 いつだって変わらないことは、歩みを止めてはいけないということで、25 年前は神田中の本屋をかけずり回って、袋小路の状況を脱するヒントになる資料を探したものですが(本が高くて買えないときは立ち読みで勉強するわけで)、今は技術資料がだいたいネットでまかなえる上に、ほとんどの機材や製作ツールが高校生のバイト代でも買えるので、1 つ 1 つの階段の高さはかなりマイルドになったと思います。

 私も元はプログラマーで製作稼業を始め、音響とかグラフィックとかシナリオ製作とかもかじっては自分のゲームを高める努力を続けているのですが、何をするにしても障壁になるのはお金ではなく、「自分にできるかしら、笑われないかしら」という自信の弱さが全てと痛感する時代で、なんとか学習したのは「歩みを止めてるほうがよほど笑われかねない」ということで、やれば済むことならなんでも即実行せねばならないことが絶対音感のように身につきました。

 映画『マトリックス』の中でモーフィアス師匠が主人公ネオに修行させるときに語る言葉で「できると思うな・できると知れ」とありますが、だいたいのことは挑戦すれば「てんでダメで役に立たない」ということもなく、なんとか人に見てもらえるものになったのは嬉しいところです。

 具体的には 17 歳、バイト代でパソコン買ってアセンブラ言語を覚えてアーケードレベルのゲームを作ってスクウェアという会社にプログラマーで入社させていただいたこと、免許をとったこと、禁煙できたこと、英語を勉強して外人と喋れるようになったこと、スノボができるようになったこと、個人製作のゲームが数 100 万 DL 突破したこと、社長になってクリエイターの育成をしたことなど、いろいろ挑戦しては、不器用ながらなんとかヤッタ感じがするところですが、原点的には高校生の頃ハンバーガー屋でバイトしたバイト代の原資を転がして、こんだけいろいろできたので、死ぬまでにはもっとスゴイことができるハズだと思います。

 これからも挑戦と成長を重ね、切磋琢磨できる仲間が増えると思うと、どこまですごいゲームが作れるか楽しみです。