【89】師匠であるO先輩に教えてもらった事

松下 正和

 プログラマーだった頃、師匠であったO先輩から、私は多くのことを学びました。プログラムの書き方、ゲームの作り方。社会人としての“つきあい”など本当に色々なことを教えてもらいました。今回は、その中から一つエピソードを紹介したいと思います。

 もう 10 年くらい前の話です。当時の私は、理想を声高に叫ぶ若き開発者でした。より良い開発をするためには、チームが終わった後のノウハウ等を他のチームで共有するための“終了報告書”が必要だ、と思い至り、それを上司であるO先輩に言いました。

 「終了報告書というものがやりたいのですが、かくかくしかじか…」

 (業務命令で言ってもらえば済む話だ、絶対メリットもある)

 そう思い進言した私に対し、O先輩の答えは、『そんなにやりたいんやったら、お前が動けばええやん』というつれないものでした。

 『やりたいやつがやるのが一番エエんや』

 O先輩は昔からずっとそう言っていた人でした。その言葉にも一理あります。でも、私は、終了報告書を全社的に行いたかったのです。

 「他のチームの人にも話す必要があるので、是非上から言って欲しい」

と言ったのですが、

 『お前が、他のチームのメインを説得して回れ』

と逆に言われてしまいました。

 開発だけでも数百人の大きな会社です。話した事もない人が多数いました。困りました。

 「なんで上から言ってくれないんだ。そっちの方が早いのに!」

 自分が、O先輩を説得出来なかった事は棚に上げて、なんてO先輩は理不尽なんだ、と憤慨しました。

 「それならば、やりますよ! ええ、やりますとも!!」

 やりたいから、それ以上にO先輩への反発心もあったからか、俄然やる気が出てきた私は、実際に話したことも無い他のフロア、他のチームの人をたずねる事にしました。私が動いたことで、周りの先輩方も、それならばと協力してくれる人も出ました。結果、終了報告書を書いてくれるチームが少しずつ出てきて、社内でも少しずつ認知されるものとなり、最終的には、開発部のルールとなり、定着しました。

 そして、社内の色々な所に知り合いが出来ました。顔を覚えてもらった事で、困ったことや分からない事があったときに、他部署の人に気軽に聞きに行けるようになったり、他の部署での取り組みなどの様々な情報が入ってくるようになりました。

 でも、当時は「オレが頑張ったから、良い結果が生まれた!」ぐらいにしか考えていませんでした。なんという傲慢な考えだったか…。O先輩が「動かずにいてくれた事」がどんなに大きかったかに考えが及んでいませんでした。

 O先輩が動いていれば、その瞬間の効率は良かったかも知れません。

 ただ私自身の成長も含め、長い目で見た効率で考えれば、O先輩のアプローチは正しかったのだと思います。

 O先輩が当時どこまで計算して「お前がやれ」と言ってくれたのかは、良く分かりません。本当に僕がそこまでの熱意を持って動くのか、少し試していた節もあります。であれば、期待通りに動けたという事かも知れません。終了報告の事だけではない、副次的な効果も含めて、結果的には、『自分で動いて良かった』のです。それを、身をもって体験出来た事は非常に大きな経験になりました。

 もしかすると、実はO先輩、本当は面倒臭かっただけなのかもしれません。

 でも、そうだったとしても、先輩の言葉をポジティブに捉えて動いたことは、自分にとって良かったことには変わりません。

 あの時に諦めないで良かった。

 O先輩へ。

 あの当時分からなかった言葉が、やっと分かってきたような気がします。あの時は、ありがとうございましたッ!!