【89】システムは用具的に作れ

キース・ブレイウェスト

 私たちは道具を作っています。私たちが作るシステムは、誰か(通常は他人)が何かをするのを助けるということ以外に存在理由(そして私たちが報酬を得る理由)を持ちません。

 20 世紀ドイツの大哲学者、マルティン・ハイデガーは、人々が生活の中で道具(より一般的に「用具」)をどのように経験するかを研究しました。人々は、目標に向かって仕事をするために道具を使います。道具は、目標のための手段にすぎません。

 うまく使えているときの道具は、用具的(「手の一部になる」、すぐに使えるということ)です。このような道具は、直接的に経験されます。無意識のうちに、理論化されることなく使われるということです。私たちは道具を握り、目標に向かうためにそれを使います。使っているときには、道具は消えているのです。道具は、使用者の身体の延長となって、それ自体としては経験されません。道具が用具的になっているかどうかは、見えない、感じない、大きな意味を持たないものになっているかどうかで見分けられます。

 金槌で釘を打つときやペンでものを書くときの感じを考えてみましょう。あの直接性です。道具が身体の自然な延長のように感じられるときのことをイメージしてください。

 それに対し、何か問題があると、道具は客観的(「目の前にある」)に経験されます。道具は目標から切り離され、私たちの注意を求めて、存在を主張するようになります。それ自体が調査の対象となるのです。ユーザーはもう目標に向かって突き進むことができなくなり、まず道具を何とかしなければならなくなります。そうしなければ、目標に向かって進むことができないのです。技術者は、ユーザーのために構築しているシステムを客観的に経験します。構築している間も、エラー報告を受け取ったときもです。私たちにとって、システムという道具は、きわめて適切にも、理論化、調査、考察すべき客体です。システムは研究対象なのです。

 しかし、私たちが構築したシステムが成功するためには、ユーザーがシステムを用具的に体験することが大切です。あなたのシステムは、使っているときに意識を存在しないようなものに作られているでしょうか。ユーザーインターフェイスは、自然に手の延長になっているでしょうか。それとも、あなたのシステムは注意を求め、ユーザーを目標から引き離すようなものになってしまっているでしょうか。