【87】とあるオンラインゲーム開発会社の話

本城 嘉太郎

 6 年前、勤めていたゲーム制作会社を退職。貯金した 300 万円で、自らゲーム制作会社を立ち上げた。28 歳のときだ。19 歳からプログラミングの仕事を始め、腕には自信があった。肩書きは代表取締役社長兼プログラマ。19 歳の頃に出会ったディアブロと UltimaOnline が、強烈な原体験として自分の中にある。夢は、世界中の人達を夢中にさせるオンラインゲームを開発すること。それが DropWave だ。

 当時はネットゲームなんて誰も見向きもしてくれなかった。それよりパッケージゲームを作ってよ、と言われ続けた。それでも、オンラインゲームを作りたかったから、研究開発もオンラインに特化させた。クライアント側は、最初から開発ツールが揃っている Flash。リアルタイムオンラインゲームエンジンは、Linux 上で動く C++ ベースのものに集中した。それが功を奏して、Flash ベースのオンラインゲームを開発するチャンスを頂けることになった。起業してから 3 年、自分達で作ったオンラインゲームが遂に完成。ロビーには何人ものプレイヤーが集まりチャットで盛り上がり、協力プレイを楽しんでくれる……はずだったが、残念ながら商業的には失敗。ネットの掲示板には、パッケージゲームだったら良かったのに、と書かれる始末。技術的にはオンラインゲームを作る目標を達成したが、それだけでは商業的に成功させることは出来ないことを教えられた。

 その直後、Facebook アプリがオープン化され、アメリカでものすごい勢いで成長。それに続いて、mixi、モバゲー、GREE などの国内 SNS も次々とオープンすることになる。ソーシャルゲームは、我々の技術力が活かせ、少ない開発費で、広告費もかけずに集客が出来る。夢のような環境だった。これに参入しない手はない。しかし、技術だけではオンラインゲームは成功しないと学んでいた我々は、あえて得意な PCFlash を捨て、モバイル市場に向けてタイトルをリリースすることにした。

 それでも慣れないゲーム運営に戸惑い、最初は利益が出ない。でも、ここで諦めては自分達でオンラインゲームを作る夢を実現できない。リリースから数ヶ月、徹底的に他社のゲームやイベントを研究し、改善に改善を重ねた。そしてリリースしてから 4 ヶ月後、初めて売上が目標の大台に乗った瞬間は忘れられない。ただの開発会社だった DropWave が、オンラインゲーム開発&運営会社に進化した瞬間だった。

 運営事業は大きな利益を出し、会社の業績も急激に伸ばすことが出来た。しかし、会社を 100%のソーシャルゲーム会社にはしなかった。それは、ソーシャルゲームの顧客層と、いわゆるコアなゲームの顧客層がまったく違うことを知っていたからだ。自分達はまだ、コアゲーマーを虜にするようなゲームを作っていない。そして、リアルタイムコミュニケーションを中心としたオンラインゲームの奥深さを、まだまだ掘り下げられていない。オンラインゲーム開発に挑みはじめて 6 年、まだまだ挑戦すべき事が山のように残っている。

 今年 2 月には、オンラインゲーム先進国である韓国に支社を設立し、韓国向けオンラインゲーム開発、および運営のノウハウを貪欲に学び始めた。そして、市場ではスマートフォンの本格普及が始まり、全世界の人々が、いつでもどこでもオンラインゲームで遊べる環境が整いつつある。まさに 6 年前に夢見た世界が目前に広がりつつある。日本のゲーム開発者が、世界で通用するオンラインゲームを作る。(FF11 やクロスゲートがとっくに達成しているけど、それは言わない約束で w)DropWave の挑戦は、まだまだ始まったばかりだ!